バレエ公演レポート

NEW 3.17 更新

~感動の舞台~

コンテンポラリーダンス海外公演 Interview


 

コンテンポラリーダンス

イスタンブール フリンジフェスティバル

─ Pythagorean Peas─

2022.1.22-24@ENKA Sanat Auditorium in Istanbul

 

 

  海外からの多くのダンスカンパニー公演で賑わうイスタンブールでの大きなダンスフェスティバルに、日本から高橋綾子さん率いるコンテンポラリーダンスカンパニーが参加し、話題の公演作品を上演しました。『イスタンブールフリンジフェスティバル』とは、各国のカンパニーが一定期間中、イスタンブール市内に集結し、それぞれのカンパニーに市内の劇場とスポンサーがつき、公演を行うというダンスの華やかな祭典です。例年は夏の1か月間でのフェスティバルですが、昨年よりコロナ禍のため集結を避け、期間を夏の一ヶ月から一年間と広げて開催しています。カンパニーによって劇場もスポンサーも異なり、観客は様々な劇場で国境を越えた様々な国の公演を楽しむことができ、西洋と東洋の文化が交差するトルコならではの試みを感じる興味深いダンスフェスティバルです。

 

 このフェスティバルでの作品『Pythagorean Peas』の芸術監督である高橋綾子さんは、NY州公認コンテンポラリーダンスカンパニーのディレクターを務め、多くの国々でコンテンポラリーダンス作品を発表されてきました。また、日本ではクラシックバレエクラスの他、イスラエル発祥のコンテンポラリーダンステクニック Kinetica をベースにしたカンパニークラスも開講されています。

 

 今回の作品『Pythagorean Peas』は、2018年にダンサー9名、75分の作品としてNew York Live Artsにて初演されました。その後、Brooklyn Academy of Music (BAM) Fisher、ニューヨークのリンカーンセンターやフランスのBlois Choreographic Festival等で上演され続けている作品です。今回のイスタンブール公演ではコロナ禍での公演ということもあり、ダンサー6名、72分に改編し上演されました。

 作品にはグリム童話で馴染みのあるキャラクター達が登場します。しかし「アルコール中毒でニートのシンデレラ」や「DV夫と暮らす風俗嬢の白雪姫」など、原作のキャラクター設定からは大きく異なる独自のユニークなキャラクター設定と構成になっていました。このような面白い作品が生まれた背景を高橋綾子さんにインタビューしてみました。

 

高橋綾子さんがディレクターを務めるNY州公認コンテンポラリーダンスカンパニー「Ayalis In Motion」の公演での『Pythagorean Peas』の一部。(※今回の公演の公開画像はありません。)


BW編集部:高橋さんの作品『Pythagorean Peas』について教えてください。作品の中の登場人物がとても不思議な設定になっていたのですが、そのような作品が生み出された背景はどのようなものだったのですか?また、観客の皆様に感じてもらいたいことはどのようなことだったのでしょう?

 

高橋:作品の最初の動機は、仕事でモロッコに滞在していた際にテロ事件と直面したことから人間の脆弱性と正義について改めて向き合いたいと考えたところにあります。作品にするにあたり、ダンサー一人一人の人間性や”touch”が人に与える影響、質感、身体性についてリサーチをしました。

 

 しかしどの作品においても言える事ですが、私自身の考えや意図を観客の皆様に伝えたいという気持ちはありません。分かってほしいと思うエゴを極力減らすことをダンサーと共に常に模索しています。エゴをできる限り極小化し、身体を透明な”vassals”にすることで観客自身が私たちの身体に入り、単なる視覚情報として“見る”という観劇スタイルではなく、作品と共に体験する、ということが可能になると考えています。

 

 私自身の作品に対する明確なヴィジョンはありますが、それと同時に『いやー、このマルゲリータピッツァを彷彿とさせる作品は叔父の愛用のブランケットの匂いを思い出させてくれるなぁ』など(?)、全く意図していないことでも何かを感じてもらえることが一番大事なことだと考えています。ダンスも芸術も自由です。そこが楽しいので、観た方には自由に好き嫌いも含めて感じていただければと思っています。ただ、せっかくお金と時間を費やして観にいらして頂いているので、鑑賞後に何か自身の答えが見つかる、もしくはスッキリするなど、観客の皆様にとって何か進展があると嬉しいと思っていますし、ダンサーに対しても同様に考えています。ただカウントと振り付けを覚えるだけではなく、その先の人生やダンスのキャリアにおいて何か新たな発見があることを目的としています。

 公演は私自身、観客の皆様、ダンサーにとってプロセスに過ぎません。そこを通過することで何か先に見えるものがあればと感じています。

 

BW編:やはりこれだけ独創的な設定を生み出せる背景には、強烈なご自身の体験があったのですね。そこから創造されたこの作品に、奥深いものが宿っている理由が分かりました。また、コンテンポラリーダンスは解釈することが少し難しい?と思っていましたが、高橋さんのお言葉により、自由に観る楽しさ、を知ることができた気がします!

 高橋さんは、世界各国様々な国でご活躍ですが、その中でイスタンブールを活動の拠点の一つに選んだ理由は何かあるのでしょうか?イスタンブールの魅力も含めてお話していただけますか? 

 

高橋:誤解を恐れずに言うと、なぜイスタンブールかという答えはありません。HumanityやArtistryに国はあまり関係ないからです。私たちの踊りが必要だと言ってくれる場所はどこへでも出かけていくというスタンスでやっており、私たちの踊りを見たいと言ってくださった方がたまたまイスタンブールだったという事です。ニューヨークのリンカーンセンターで美しいドレスに着飾った多くの方々の前で公演をした際も、ウガンダの土の上で現地の子どもたちの前で裸足で踊った時も、同様に人の心と繋がりを感じました。情報化社会の今、そこまで土地によって区切ってどうこうということはないかと思っています。

 

と同時に、ではイスタンブールになぜアメリカにいるオリジナルキャストではなく日本のダンサーを連れて行ったかというと、日本で頑張ってくれているダンサーに色々な経験をしてもらえたら嬉しいという思いもあったかと思います。イスタンブールは土地柄、文化が交錯する地として発展してきました。独自の文化を守りながらも、ヨーロッパ、アジア、アフリカの文化をも寛容に受け止める懐の深さを訪れるたびに感じます。例えば、「ダンス公演」と銘打ったパフォーマンスで65分間ただ吊るした大きな牛タンを6人のダンサーで捌いていき、最後にマスタードとケチャップをかけて観客に振る舞うだけという作品が上演されます。その作品が良いか悪いかという議論ではなく、芸術に対する広さと深さが面白いと思いますし、日本のダンサーに「もっと自由でいいんだよ!好きなことを信じて突き詰めてみなよ!楽しいよ!」と言うことを伝えたかったのだと思います。

 

 BW編:ダンスは言葉がたとえ通じなくても心を通わせられる、本当にボーダレスな表現方法というところが価値のあるところですね。イスタンブールの文化の許容度の広さにはとても興味深いところがあります(笑)。お話し頂き、ありがとうございました。

 最後に、「Balletweek」のユーザーの方々やダンスをやっている方々、プロダンサーを目指している方々へアドバイスになるような一言を何か頂けますか?

 

高橋:『雨垂れ石を穿つ』ですね。

常日頃から自分に言い聞かせていることでもありますが、どこにいるかよりも何をするかが大事です。うまくいかない時はがっかりしてしまう日もあるかもしれません。しかし、課題がある事にがっかりせず、その先にある新たな景色にワクワクしながら日々を積み重ねていっていただければと思います。地道な努力を積み重ねること、努力の意味と目的を自発的に理解して継続していくこと、そして学びをやめないこと、、、私も毎朝自分に言い聞かせています。

できないことがあるって楽しいですよね。学ぶべきことがあるって幸せですよね。

 

ダンスが上手だったらな、、、と涙した日は数知れずあります。でも上手でなかったからこそ試行錯誤を繰り返し今でも続けていられるのかも知れません。今でも教える傍ら1日一回は生徒として外で必ずクラスを受けるよう心がけています。義務だからではありません、学びは楽しいからですよ!

 

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